文を読むということ
長男は文章を読むことが好きだ。
子供(今も子供だが)とにかく文を読めれば何でもよいという感じがする。
私はそこまで本を読まなかったが、妻が多読の子供だったらしい。
小学校の図書館の図鑑以外の本はすべて読んだというのだから驚きだ。
(…そんなことが本当にできるのだろうか?今でも半信半疑だが)
やはり読む量が増えると、読むスピードが速くなるらしい。
妻は、センター試験で国語Iと国語I・IIの両方をやってよくできたと思えるほうを
提出していたらしい。
(…そんなことが本当にできるのだろうか?今でも半信半疑だが(笑))
長男の国語の演習問題が終わったか確認したところ、指定された問題文を解かずに、
先の問題文の文章をすべて読んでいた。
好きにしてくれー。
あまり注意する気もおきずに、さっさとやれとだけ言っておいた。
日本の歴史然り、小学生新聞然り、キッズ携帯の説明書然り。
塾に行くのに本を持たせると必ず乗り過ごすと思ったので本は持たせていないのだが、
なんとキッズ携帯で本の写メを撮ってそれを見ていた(そして乗り過ごした)。
本が好きなことは悪いことではないのだが、ここまで行くと度が過ぎる…。
アリストテレスの中庸の精神をぜひ説いてあげたいが、
尖がることを推奨していた塾の校長先生の言葉を信じてほおっておくことにする。
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